わたしが一番きれいだったとき
2024年 07月 28日
「サーラがね、パパに聞きたいことがあるって」と、Rikiからのメッセージ。

サーラは、どんな洋服を作るだろう。


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「アジア、特に日本が良いんだけれど、戦争について詠った詩があるかどうか、Rikiのパパに聞いてくれる?」
サーラは、息子が高校生の頃、仲良くしていた女の子だ。僕もよく知っている。
今は、Moda(ファッション)の勉強をしている。そして今、卒業制作に入るところだという。
で、彼女は、戦争を、戦争反対を作品のテーマに織り込みたいと考えた。頭に浮かんだのが、第二次世界大戦、そして日本だった。最後まで戦った国の、そして被爆の歴史の印象が強かったのだろうか。
戦争の詩、か…
そう聞かれても何も思い浮かばず、やっぱりgoogleにお願いしてみる。"戦争" "文学" "詩" で検索…
すると、「戦争を綴った二人の詩人」として、原民喜、茨木のり子、の名前が出てきた。
恥ずかしながら、どちらも初めて聞く名前だった。
読んでみると、特に、茨木のり子の詩が素晴らしかった。
年頃だった女の子が巻き込まれた戦争。手にすることができなかったお洒落、恋愛… 怒り、悲しみ…
あぁ、きっとこれは、サーラにぴったりだと思った。
わたしが一番きれいだったとき
茨木 のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し
皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた
できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね

早速、この詩を彼女に送った。
そうしたら、
「完璧!アイデアを練る最高の出発点になったわ、ありがとう!」
って。
どんなコレクションになるだろう。


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「自分の感受性くらい」は、自分を奮い立たせる時に読みます。
素敵な人ですね。
素敵な人ですね。
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by kotaro_koyama
| 2024-07-28 00:42
| イタリア暮らし
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Comments(2)