茶碗を空にして

久しぶりにゴルフのレッスンを受けた。コーチはロスアンジェルス出身のアメリカ人。

彼にはもう3年以上教えを乞うていないのに、練習場に行くと、しばしばちょっとしたアドバイスをくれる。なんかいつも無料で好意を貰っていて申し訳ないから、たまにはちゃんとお金を払おうかな、って思ったのだった。彼の販売促進活動にはまったとも言える。

「僕、昨日のラウンドでは10オーバーの81でした」

レッスン前、そう挨拶がわりに言ったら、「お前、まだそんなスコア叩くのか」って顔された。そんなに悪い数字じゃないと思って言ったのだけれど。でもまあ確かにそんな数字で満足しているから、いつまでも上達しないのかもしれない。

レッスン中の彼の言葉もなかなか厳しいものだった。考えてみれば、それは僕への期待値が高いと言うこと。ついつい現状に満足して怠惰になりがちな僕の気持ちを叱咤激励してくれた気がする。

ところで、誰かに教えを乞う時にいつも思い出されるのが、禅ゴルフという本にある一節、「茶碗を空にする」だ。禅ゴルフは、メンタルコントロール本のバイブル的存在である。

若者は禅に関して探し得る著書をすべて読破した。そして、偉大な禅師のことを聞いて、教えを乞うために面会を求めた。二人が座ると、若者は禅についてこれまでに読んで理解したことのすべてを師に伝え、禅の本質について、得意げにひとしきり蘊蓄を傾けた。
しばらくたつと、禅師はお茶にしようと言った。禅師が湯を沸かす間、若者は姿勢を正して座り、茶碗を差し出されると無言で深々と礼をした。禅師は若者の目の前の茶碗に茶を注ぎ始めた。茶碗が一杯になるまでなみなみと注ぎ、それでも止めずに注ぎ続けた。茶は茶碗の縁から溢れ、飯台の上にこぼれた。それでも手を止めずに注ぎ続けた。若者は我慢できなくなって叫んだ。「先生、おやめください!茶碗はもう一杯で、これ以上注ぐのは無理です」そこで禅師は手を休めて、若者にこう言ったのだった。「お前の心は、この茶碗と同じようなもので、身勝手な意見や先入観で一杯である。最初に茶碗を空にしないで、何か学べるとでも思っているのか」

そして、四種類の生徒がいる、の章。
最初の茶碗は伏せてある。これは学習するために先生のところへ来ているはずなのに、注意を払わない、聞き入れない生徒のことである。どれだけ水を注いでも茶碗の中はいつまでたっても空っぽなのである。
二つ目の茶碗は、きちんと上を向いて置いてあるが、底に穴が空いている。先生の言っていることを聞いてはいるが、たちまち全部忘れてしまう生徒。
三つ目の茶碗は、きちんと上を向いていて、底穴はない。だが内側に汚れがこびりついている。だから、レッスンの澄んだ水が注がれても、その汚れのせいですぐに濁ってしまう。
四つめの茶碗は、きちんと上を向いて置かれ、汚れもない。穴はなく、教わったことはきちんと保持される。生徒としてあるべき姿を象徴する。

特にYouTubeのせいで、情報過多、頭でっかちになっている今。

この日、僕は、空っぽで、汚れのない茶碗の心で、コーチを教えを受けることができただろうか。そしてそれをきちんと保持できるだろうか…

茶碗を空にして_d0036978_18594970.jpeg

レッスン終了後。僕は、注意されたことに気をつけながら、ひたすらボールを打ち続けた。他の生徒を教えながらも、時折僕のスイングに目を向けるコーチの、温かく、厳しい視線を感じた。
 

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by kotaro_koyama | 2022-04-25 02:36 | イタリア暮らし | Comments(0)

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