遺産
2022年 02月 20日
歳を取ってからの子供だったせいもあるだろう、一人っ子だったこともあるだろう、僕は、大変に可愛がられた。そしてもちろん、僕の身体も、いつもピカピカに磨かれた。何よりもそれは、家を汚さないためであったのだけれど。
料理は一切しなかった。母が不在の時、「お腹が空いた」と言う小さな僕に、コップに水道水と砂糖を入れて、スプーンで掻き混ぜながら「ほら、美味いぞ!」と手渡されたのが、唯一の父の手料理の思い出である。
僕の小学校は、自宅から40分ほどの所にあった。私立だったから、制服に革靴だった。朝起きると、制服にはブラシがかけられ、そしていつだって僕の革靴はピカピカに磨き上げられていた。
石ころを蹴って帰ってくれば、革靴に傷がついたと言って怒られた。そして傷が目立たなくなるように、再びピカピカに磨き上げられた。
冬になると、その革靴は、朝早くから暖房の前に置かれ、温められていた。
昭和40年代、最寄りの駅のプラットフォームはまだ木でできていて、霜が降りる寒い朝は真っ白になったものだ。すっかり暖められた僕の革靴は、家を出て、駅へ着いてもまだ十分に暖かかった。列に並び、電車を待っていると、僕の靴の周りだけ、見る見る霜が溶けて、茶色い木の色が見えてくる。周囲に立つサラリーマンたちの足元は、白く凍ったままだった。
あの靴のぬくもりは今でも忘れない。
もしかしたら僕が子供たちに注ごうとする愛情は、父から受け取った遺産を、ただ受け渡そうとしているだけなのかもしれない。

by kotaro_koyama
| 2022-02-20 19:59
| イタリア暮らし
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