Maho20歳、Kei17歳、Riki12歳。イタリアで、一部ニッポンで、スクスク成長中。
by kotaro
カテゴリ:回想( 10 )
上を向いて歩こうよ。
ちょっと生活をすることに疲れちゃったみたい。なあんて言うと大袈裟だけれど、でもブログの更新が途絶えているところにその下降気味の気持ちが表れている。書く題材なんて、少し考えればいくらでもあるのだけれど、子供の写真を撮っていないことが大きいかも。写真がないとどうも文章も浮かばないよねえ。こんな時は昔の写真でも引っ張り出してなんか作文してみようか・・・ ああこの写真も面白くない、これも駄目・・・ あ、何これ。ああそうか、昨年の夏、Keiが参加した知床自然教室の思い出だ。へえ!話には聞いていたけれど、ほんとに何もない所でキャンプするんだねえ。うわっ、こんな原生林の中を歩いて・・・ 何これ、手に何を持っているの?へぇ、鹿の角なんだ!

世間一般のお父さんに比べると、僕は四六時中子供たちと一緒にいる。もちろん学校での様子などは知らないのだけれど、でも、今まで子供たちとほとんどの時間を共有してきて、そのすべての表情を知った気になっていた。でも、知床のこの思い出、このたくさんの写真の中でKeiは、僕の手を完全に離れて、なんだかとても遠く、本当に手の届かない所で楽しんでいるように見える。

そう、これからは、そんな時間がどんどん増えていく。そしてもちろん、いつの日か子供たちは本当に僕から巣立って行くんだ。子供なしで生きて行く心の準備をしておかないと、定年退職後に何をしたらいいか分からないおじさんのような抜け殻になってしまうかもしれない・・・

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by kotaro_koyama | 2011-03-02 03:31 | 回想
d0036978_17295666.jpg昨日、40歳になりました。

子供達は、自分達の誕生日のように騒いでいましたが、ボクにとってはいつもと変わらない普通の日。とは言え、誕生日は、過去を振り返り、将来を思うきっかけにはなります。

29歳で日本を飛び出してから、色々なことがあったなぁ…

トスカーナ州ポッピ。あの小さな村で、"CIAO"から始めたイタリア語。NHKラジオ講座だけの勉強では、全然歯が立たなかったのを思い出す。最初の数日は、先生の言っていることがほとんど一言も理解できなかった。寒いアパートに帰って宿題をしていると、一歳になったばかりのMahoに見つめられる。『パパ、何しているの?』
一生懸命勉強したけれど、4週間後には、詰め込んだ文法が頭の中で滅茶苦茶になっていた。

ワインの村、モンテプルチャーノには、面白い日本人のおじさんがいた。奥さんに先立たれた後、NHKを早期退職したという彼。ワインが好きだからって、その村に独りで住んでいた。イタリア語はあまり分かっていないみたいだったけれど、毎日の生活をとても楽しんでいた。『若いうちに闇雲に海外に飛び出すことには反対。まずは日本で一番を目指すべき』という彼の言葉が今でも胸に残っている。

あの村では、料理研究家の人とも一緒に勉強した。えぇっと名前は… そう、田口成子さんだ。元気かしら?

そしてペルージャ。外国人大学。ひょんなことから始まった仕事。中田英寿選手を追いかけるスポーツ新聞の片棒も担いだ。イタリア国内のみならず、トルコへ、スペインへ、どこまでもどこまでも彼を追いかけた。最初は楽しかったけれど、でもそのあまりの馬鹿馬鹿しさに、いつしか嫌気がさして…

次の10年。ボクが50歳になる時は、Mahoが21歳、Keiが17歳、Rikiが13歳か。娘たちは色気づいて、イタリア人の彼氏に首っ丈だろうか。Mahoは、ちゃんと高校を卒業できているかしら。ボクは…

お化粧に夢中になっているKeiを見ながら、そんなことを考えていました。
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by kotaro_koyama | 2007-01-24 18:27 | 回想
夢の村
「ポッピは童話に出てくるような村だ」

最初の滞在地は、"成功する留学"の中に見つけた、そんなコメントで決まった。
その頃は、今ほどインターネットなんて普及していなかったから、イタリアに留学する手がかりといえば、"成功する留学"くらいしかなかった。もちろん、ミラノの友達に色々と聞くことだってできたのだけれど、こうしたことを人に頼るのは嫌だったし、考えもしなかった。

「童話に出てくるような」か。いいじゃない。子連れのボクたちにはピッタリだ。心は、すっかり緑豊かなトスカーナの丘へと飛んでいた。

でも、ミラノに到着して、今後の計画を友達に話すと、大笑いされてしまった。
「ポッピ?どこだい、それ?イタリアか?なんでまた、トーキョーからポッピなわけ?」

イタリア人さえ知らない小さな村…。でも都会の空気に疲れていたボクは、最初の滞在先くらいは、バカンス半分で行きたかった。なるべく小さな町。緑豊かな、小さな村がいい。もちろん、日本人がいないところだな。"成功する留学"の頁をめくればめくるほど、小さな語学学校が一つあるその村が、ボクの理想に思えてきたのだった。

今でもあるのかどうか、その頃、ルノーの長期リースサービスというのがあって、3ヶ月間車を借りてあった。小さなルノー・クリオを飛ばして、ミラノを後にする。

乾いた青い空の中、太陽道路を一路南へ向かうと、昨夜の不安もどこかへ吹っ飛んでしまった。
ポッピ。ボクの夢の村は、もうすぐそこだ…。
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by kotaro_koyama | 2006-03-07 22:48 | 回想
夢の中
ミラノに着いた。長旅に疲れきって、倒れるようにホテルのベッドに横になると、いつの間にか寝てしまっていた。色々な夢を見ていた。夢の中では、日本での会社員生活を、そのまま続けていた。

ドン!と、突然の鈍い音。そして、赤ん坊の大きな泣き声。

Mahoだった。妻と2人で挟んで寝ていたつもりが、いつの間にか、ベッドから転がり落ちたらしい。冷たい床に頭をぶつけて、大泣きする一歳のMaho。「ごめんね、ごめんね・・・」と、彼女を抱きしめる妻。

時差ぼけで朦朧とした頭に、娘の泣き声が響き続ける。

「ボクは、いったい本当に正しいことをしているのだろうか・・・」

イタリアに到着した興奮もつかの間、再び、大きな疑問が胸を突くのだった。
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by kotaro_koyama | 2006-03-06 22:37 | 回想
残響
ブーン、ブーン、ブーン。
あの音が、今でも頭の中で響き続けている。ブーン、ブーン、ブーン。

d0036978_2347819.jpg満席のアリタリア航空。僕の前では、壁に取り付けられた小さな簡易ベッドの中で、1歳のMahoがスヤスヤと寝ている。横を見ると、妻が、苦しそうに体を丸めて無理に目を閉じている。

「イタリアへ行こうか」
「2人だけならさ、失敗して、貧乏になってもいいよね?」
そんな軽い気持ちで、日本脱出を着々と進めていたある日のことだった。『妊娠した』と、衝撃の報告を受けたのは。
驚きと戸惑い、そして喜びの間から心を突いた衝撃は、「え~、それじゃイタリアに行けないじゃない!」

でも、ダメと言われるとますますやりたくなるのが人間というもの。このまま諦めたら、棺おけに入る時、絶対後悔する。そんな気持ちにすっかり囚われてしまった。言葉もよく分からない国に、乳児を連れて行く勇気はないけれど・・・。でも、一歳になればなんとかなるかも。
そうだ、生まれてくるこの子が一歳になったら、会社を辞めて、イタリアへ行こう・・・。そして、一年。その気持ちを実行に移した、1996年8月。

輝く月明かりの下。翼がゆっくりと左に傾いた。オレンジ色の街の光が、ぽつぽつと、暗闇の中に浮かび上がってきた。

「あぁ、ついに来てしまった…」

ブーン、ブーン、ブーン。麻痺した頭の中で、飛行機のエンジンの音だけが鳴り響くのだった。
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by kotaro_koyama | 2006-03-04 00:01 | 回想
Perché no?
「イタリアに来ちゃえば!?」
彼女は言いました。いとも簡単に。今からもう15年ほど前のこと。8月、バカンスで閑散としたミラノの街角で。

d0036978_0552630.jpg「とりあえずさ、ワタシが看護婦のふりして会社に電話してあげようか?コータローは、大怪我をして動けませんって。それで、しばらくミラノで試してみたら?」

グラグラッ。大きく心が揺らぎました。でも、その頃はまだお堅いサラリーマンの端くれだったボク。やっぱり勇気がなかった。 「日本の会社じゃ、それは通用しないよ…」

"Perché no?" (どうしてダメかな?)

日本の血が混じっているとはいえ、そのメンタリティーは、ほとんどイタリア人。いいえ、イタリアの枠にも収まらない、異色な彼女が返してきた言葉は、いたってシンプルな疑問でした。"Perché no?"

その夏は、おとなしく日本に帰ったボク。でも、その言葉は、いつまでも胸の奥でくすぶり続けたのです。
Perché no? そうか、不可能なことなんてない。自分の気持ち次第だ。そして、その数年後、ほんとうに日本脱出を決意することとなったのでした。
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by kotaro_koyama | 2006-03-01 00:53 | 回想
どうして?
d0036978_20504673.jpgペルージャ。この町に住み始めてから、もう9年が過ぎようとしています。
よく、「なんでイタリアへ来たの?」とか、「なんでペルージャ?」と聞かれるのですが、答えには、ちょっと困ってしまいます。思い返すと、この国や、この街でなければいけなかった理由は、特には無かったんです。

東京で、サラリーマンをしていた頃。思い返すと、それは楽な暮らしでした。時々寝坊したって、クビになることもない。月末には、間違いなく給料が振り込まれてくる。そんな安定した職場にヌクヌクとしていました。でも同時に、自分で自分の人生をコントロールできないことに、歯痒さを感じていました。そして、20年も30年も先の人生が予想できてしまうことに、恐怖を覚えたものです。

"あの部長を見てよ。こんな大企業の中じゃ、うまくレールに乗ったとして、アレだ。ボクの未来、うまくいってアレなわけ?"

それは、たまらなく怖いことでした。その恐れこそが、日本を飛び出す大きな理由になったと思います。

今、自分自身でコントロールする毎日に自由を感じると同時に、明日がどうなるか分からない人生に不安を感じます。子供たちの輝く目に見つめられると、更に不安が増します。でも、今日もここに暮らし続けているということは、その不安の裏にある自由を求め続けているのだと思います。

明日、どこに住むか、どこで、どう生きるか、ボク自身が決めることができる。それが今、不安の対価として受け取っている、ボクの報酬です。
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by kotaro_koyama | 2006-02-17 21:37 | 回想
次は…
d0036978_2043373.jpg30代最後の年に突入しました。

10年前、29回目の誕生日を迎えた時、たまらない焦りを感じたことを思い出します。『30歳』が、とてつもなく重く圧し掛かってきた。日本を飛び出したのも、その恐怖心からでした。

あれから10年。イタリアに住んで、子供も増えました。

さて、次の10年をいかなるものに。

キミの、曇りなき瞳を見つめながら、じっくり考えます。
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by kotaro_koyama | 2006-01-23 20:20 | 回想
再会
d0036978_22261341.jpg「ミラノに来いよ」
旧友Mからの、突然の電話。たった半日だけイタリアに立ち寄るオトコに会うために、飛行機に飛び乗りました。今日は、子供なしの一人放浪。久しぶりに、都会の空気を吸い込みに。

Mに加えて、ミラノに住む友人とも久しぶりの再会。この4人で集まるのは実に9年ぶりのことです。思い返せば、こいつらがボクをイタリアへと導いたのです。

帰国子女のMとハーフの2人。海外を転々と暮らしてきた彼らに、初めて会った時のことは忘れません。彼らの言動は、大きなカルチャーショックでした。その衝撃が、若きボクの好奇心を日本の外へ向けることになったのです。

時々、イタリアでの生活に疲れることがあります。でも、彼らに会うと、昔の新鮮な気持ち、好奇心が蘇って、またガンバロウと思い直すのでした。
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by kotaro_koyama | 2005-11-02 22:37 | 回想
理由
「どうしてイタリアに?」
この質問、何度も受けました。でも困っちゃうんです、特に深い理由があったわけではないので。強いて言えば、一目惚れでしょうか。それも、勘違いかもしれない…

初めてミラノ空港に降り立った時の気持ちは今でもよく覚えています。「あっ、ここ知ってる!」
ただ灰色の滑走路に囲まれているだけなのに、まるで前世で暮らした国に戻ってきたような不思議な感覚。強い日差し、乾いた風の匂い。

今となっては、バカンスに気持ちが浮ついていただけだったのか、とも思います。でもその恋心は、長い間胸の奥底でくすぶり続けたのでした。
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by kotaro_koyama | 2005-05-14 20:08 | 回想


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